【長編小説】月蝕の鼓動《第5話・初日》

【長編小説】月蝕の鼓動《第5話・初日》

 

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井沢を乗せたタクシーが、ミッドタウン前の路肩にスルスルと停車した。 運転手に三千円を渡し、井沢はタクシーを降りた。セイコーの廉価品の腕時計を見ると、針は六時半を指している。約束の時間まであと、三十分だ。

 井沢はミッドタウン内にある喫茶店でキャラメルモカを飲むことにした。そうしている間に酔いも冷め、時間も潰せるだろうと思ったからだ。井沢がキャラメルモカを飲み終え、もう一度、腕時計を見ると針は四十五分を指していた。

 井沢はミッドタウンから乃木坂方面へと歩いた。その周辺に沢木ビルという二十階建てのオフィスビルがあり、ドリームエンジェルズの事務所はそのビルの十二階に入居している。

 井沢はビル名を一つ一つ確認しながら歩いた。

 そして、沢木ビルと書かれた建物を見つけると、井沢は中に入った。受付で手続きを済ませ、エレベーターに乗り込む。ヴーンという機械音に包まれる。その無機質な音は井沢を少し不安にした。

 十二階に着き井沢は降りた。フゥーと小さく一息吐く。目の前にドリームエンジェルズと書かれている半透明のドアがある。そこから、中を覗くとパソコンの置いてあるデスクがチラッと見えた。近くに男が二人いる様子がうかがえる。一人は小太りのヒゲ面、もう一人は色白の長髪だ。

 井沢はドアを開け、中に入った。すると、ヒゲ面と目が合った。

「今日からよろしくっす。佐藤っす」
 井沢は大きい声で挨拶をした。

「おう。元気だけは一丁前だな」
 ヒゲ面はそう言って井沢の肩をドンと強く叩いた

「痛っいすよ」

「うるせえ。ちょっとこっちに来い」
 井沢はヒゲ面に連れられて別室に通された。そこには折りたたみの机とパイプ椅子があった。

「そこに座れ。一応、面接をやる」
 井沢はヒゲ面に言われてパイプ椅子に腰掛けた。

「俺がここの社長の秋山だ」
 秋山はそう言って、井沢の対面の椅子にグデーンと座った。

「よろしくっす」

「佐藤、おまえ歳いくつだ」
 秋山は井沢の顔をジロジロと舐めるように見ている。

「二十六っす」
 井沢は咄嗟に嘘をついた。流石に三十路のヤンキーは設定に無理があるような気がした。

「嘘だろ。それにしちゃ、貫禄あるよな。おまえ」

「ありがとうっす」

「まぁいい。ところで、パソコンと車は使えんのか」
 秋山はそう言うと、パソコンのキーボードをカタカタとタイプするジェスチャーをした。

「できます」
 と井沢は大声で答えた。

「よし、まあ合格だ。今日から働いてもらうわ。本当は高橋さんの頼みだからな。感謝しとけよ」

「そうします」
 井沢は内心で誰がするかバカと答えた。

「おい、須藤。コイツに仕事を教えてやってくれ」
 秋山が部屋の外に向かって大声で言うと、はいと一言返事があった。おそらく、須藤の声だろう。

「行ってこい。髪の長い男が須藤だ。ちゃんと教えてもらえよ」
 秋山に言われて、井沢は部屋の外に出た。
 すると、そこに色白の長髪が待っていた。どことなく、目つきに幼さが残っている。大学生ぐらいだろうか、と井沢は推測した。

「おう。俺が須藤だ」
 須藤はそう言うと、井沢に右手をポンっと差しだした。どうやら、握手がしたいらしい。

「よろしくっす」
 と井沢は答えてその手を握った。須藤の手に力がこもるのを感じた。それに負けじと、井沢も力で押し返した。

「じゃあ、さっそくこっちに来い」
 須藤は一連の儀式に満足すると、井沢をパソコンのあるデスクへと案内した。

「いいか、これを見ろ」
 須藤はそう言って、パソコンのマウスをチャカチャカと動かした。

 井沢はディスプレイに目を移す。

 ディスプレイには
 『二十一時 中澤 ハヅキ 帝都ホテル 二十五時 高沢 ハヅキ グランドホテル』
 と書かれた表のようなものが映しだされている。おそらく、これは出勤表のようなものだろう、と井沢は当たりをつけた。

「いいか。おまえには当分の間、ハヅキを担当してもらう。ハヅキのスケジュールを確認しとけ」

「はい」

「それで、確認が終わったら、女を拾いに行け。名前をクリックすると、連絡先が表示されるはずだ。そこに電話して女と落ちあえ」

「はい」

「今日は俺もついて行ってやるから、とりあえず、ハヅキに電話してみろ」

「わかりました」
 と井沢は答えて、モニターに映るハヅキの文字をクリックした。すると、表示が住所と電話番号に切り替わった。おそらく、ハヅキの個人情報だ。

 井沢はその番号に電話をかけた。

 すると、ワンコールもしないうちに電話をとる気配がした。

「はい」
 と女の人の声が聞こえた。

「これから、九時に出勤の予定があるのでお願いします」
 と井沢は言った。

「あー、はい。DEの人ですよね。わかりました。じゃあ、三茶の方まで来てください」
 はづきの言うDEとはドリームエンジェルズのことだろう。

「かしこまりました。八時半頃、そちらに向かいます。その時にもう一度、連絡します」
 井沢はそう言って電話を切った。

 すると、須藤に肩を叩かれた。

「上出来じゃねえか」
 と須藤は言った。

「ありがとうございます」

「今のうちにホテルの場所も確認しとけよ」

「はい」
 と井沢は答えて、スマホをポチポチといじるフリをした。帝都ホテルやグランドホテルぐらい有名なホテルであれば、行き方ぐらいは知っていた。

「じゃあ、仕事の前にちっくら飯食いに行くか」
 と須藤が言った。

「まじっすか、奢ってくれるんすか」
 と井沢は甘えてみた。

「いいぜ」
 須藤はどこか、嬉しげな表情をしている。

 井沢は須藤に連れられてビルの外へ出た。腕時計を見ると、十九時になっている。

 須藤の後ろをしばらく歩くと、ファミレスの看板が目に入った。二人はそこで食事をとることにした。

 井沢はそこでチーズハンバーグを注文した。須藤はビーフカレーだ。

 二人は食事を終えファミレスを出た。そして、須藤の車が停めてある地下駐車場へと向かった。

「須藤さん。ご馳走さまでした」
 井沢は奢ってもらったお礼を言った。

「ああ、いいってことよ」
 須藤はそう言って得意気な顔をした。

「ドリームエンジェルズの客ってどんな人なんですか」
 と井沢は聞いてみた。

「うーん。まあ、普通の金持ちだと思うぞ。俺もよく知らんけど」
 そう言って須藤は首を傾げた。

 すると、須藤は急に立ち止まり、ハッと何かを思い出したかのような表情をした。

「そういえば、この前。ヤバい奴がいたな」

「なにがどうヤバいんっすか」
 高橋か、それとも違う誰か、と井沢は思考を巡らせた。

「なんていうか、この前、一人の女の子がボコボコにされたんだ」
 須藤の表情は強張っている。

「マジっすか」

「ああ。アユミって子を担当してた時の話なんだけど。うちは高級な店だから、いつもは高級ホテルばっかなんだけどな。なぜか、その日は普通のマンションに行ったんだよ」
 井沢は須藤の話に相槌をうつ。

「それで、終わった頃に迎えに行ったら、マンションの階段の所に全裸で震えてる奴がいんだよ」

「マジっすか」

「ああ、マジマジ。坊主頭だったから、パッと見で男だと思ったんだよ。でも、よく見ると、胸が膨らんでたから女じゃん、ヤベーと思ったら、アユミちゃんだったんだよ」
 須藤の話をまとめると、アユミっていう女の子が客に頭を丸刈りにされたということなのだろう。

「それだけじゃないぜ。車ん中でアユミちゃんの体を見たら、額と腹んとこに変な落書きがされてて、体にはホッチキスの針みてえなやつがいっぱい刺さってたんだよ」

「嘘でしょ」

「本当だよ。アユミちゃんって凄い生意気な子だったんだけど、そん時のアユミちゃんは別人になっちまったみたいに死人のような目をしてたぜ」
 そう言って須藤は両手を上にあげ、お手上げのポーズをとった。

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